こんにちは。
『松本平から上山田温泉までを旅する #3』
今回は筑北村で3寺目となる、竹やぶに囲まれた石階段が魅力の『碩水寺(せきすいじ)』を訪れました。なんでもガンダムが関係しているとか!?
《目次》
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碩水寺とは
碩水寺は、昭和53年に県より碩水寺郷土環境保全地域に指定されていて、赤杉や老いた杉、竹林が林立する荘厳な雰囲気の中に、季節になるとアジサイが咲き誇り静けさに色を添えます。
天明2年と文化10年の火災に遭い、寺の由緒は詳かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られています。
現在の曹洞宗に改められたのは、享禄年中(1528年~)、当時の領主青柳近江守清長、伊勢守頼長父子が勢力をはっていた頃のことで、頼長が開基となり、南安曇有明の青原寺二世天如桂樹和尚を請じて開山となし、天文元年(1532年)、寺が創立されました。
寺宝には、歴代徳川将軍家の朱印状9通の他、谷文晁の絵画などがあるそうです。
末寺としては、青柳清長寺、花顔寺、関昌寺、上田市宗賀前松寺、松本市端松寺があります。裏庭に池泉鑑賞式庭園があり、「碩水」の由来となった泉が湧いています。
「信州の古寺百選」指定の観光名所であり、信濃三十三番札所の十七番「関昌寺」の朱印所にもなっています。
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見どころ①山門
建立には2説あり、1説は元禄11年(1698)、1説は嘉永元年(1848)とあり、その定説は確かではないが、現在の如く鐘楼と兼ねていたと思われます。総木造二階建楼門型、坪数は13坪半です。屋根にはシャチホコがあり、山門を兼ねた鐘楼には加賀国大乗寺の日舟禅師の筆になる山号額が掲げられています。
見どころ②本堂
文化10年(1813)焼失のあと、文政3年(1830)再建されたもので、棟梁は諏訪の藤原広八氏、総木造平屋建て、坪数154坪半(510平方㍍)で、入口の上り框(かまち)が松材20mの1本であることなど、当時の苦労が偲ばれます。こちらの屋根にもシャチホコがありました。
本尊である木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の様式で、檜寄木造りの像内に寛文2年(1662年)銘があり、台座には村上源蔵人の名が記されている(昭和50年に長野県宝に指定)。
見どころ③庫裏
やはり二度の火災の後、文化11年(1814年) 再建された。その後、昭和63年にほとんど原型をとどめながら改築されたそうです。
見どころ④座禅堂(薬師堂)
浄黙場とも称して古くは雲水の座禅をした場所で、本殿の薬師如来像と、その分身眷属である十二神将、脇侍の日光・月光両菩薩があります。
見どころ⑤豊川稲荷
山門階段下に位置するこの稲荷様は、いつ頃建てられたものか定かではないそうですが中に算額が奉納されていて、その年号が慶応4年となっているところから1868年頃と思われます。
算額・・・数字でなしに図によって計算する方法
他の見どころ
だるま大師
モデルが元・インドの王子様であったとの秘話があるそうです。
山崎貞右衛門氏、国内の霊場を巡詣したあと法華経行願品を一石に一字を墨書し、それを台座下に埋めて塔を建てました。天明4年(1784)甲辰4月と記されています。総丈3.3mです。
出山の釈迦像
明治の廃仏殷釈の折、巷に投げ出されているのを碩水寺二十世が貰いうけたもの。作者不詳なるも、鑑定によると五、六百年前のものだろうといわれています。
ガンダム
こちらの住職さんは相当なガンダム好きだそうで、なんでもガンプラ(ガンダムのプラモデル)が好き過ぎて同好会(碩水寺プラモデル同好会)を立ち上げたそうです。ゆくゆくは「願陀無寺」を作ってガンダム信者の聖域にしたいそうです。ガンプラは本堂や庫裏にも並んでいます。
御朱印
御朱印をお願いしたところ、快く応じて頂き、さらに本堂も開けてくださいました。
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アクセス
基本情報
【住所】 〒399-7601 長野県東筑摩郡筑北村坂北1044-1
【電話番号】 0263-66-2138
【拝観時間】 9:00 ~
【拝観料】 志納
【駐車場】 普通車30台
【公式サイト】信州、まんだらの里坂北村の山寺、碩水寺
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