【蓮寺】 信濃国分寺|上田市
こんにちは。
うらいで~編集長です。
今回は、蓮寺としても有名な上田市にある『信濃国分寺(しなのこくぶんじ)』に行ってきました。広い蓮田に見事に咲く蓮と歴史を感じるお寺とのコラボレーションがとにかく見事で美しいです。
《目次》
信濃国分寺とは
現在の信濃国分寺は上田盆地の中、千曲川の北岸に位置し、創建時の国分僧寺跡は南方300メートルの場所にあります。
「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の天平13年(741年)の勅願により、国ごとに国分寺が創建されました。
承平の乱(935~939年)で焼失したといわれていますが、室町時代に今の場所へ再建されました。
1月7日~8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で近在の信仰を集めています。また寺で頒与している「蘇民将来」のお守りは、家々の息災安穏と繁栄を願う護符として有名です。
こちらは「中部四十九薬師霊場」の第一番に数えられています。
まずは国道18号線沿いに建つ仁王門から参拝していきたいと思います。
▼仁王門
ちょっとユニークな顔つきをした面長の仁王像が安置されています。
道路を挟んで向かい側には信濃国分寺跡や史跡公園、資料館があり、広大な敷地を誇っていたことを物語っています。
ここから堂塔伽藍が建ち並ぶ境内まで数百メートルあります。車でも行けますが、今回はアスファルトの参道を歩いて向かいます。
そして最初に見えてくるのは、阿弥陀仏殿とも言われている客殿と寺務所です。ただ、この日は立ち入り禁止と書かれていて入ることはできませんでした。次回に賭けます。
それでは寺号標を見て境内に入ります。一礼。
手水舎(ちょうずしゃ)で手と口を清めてからスタートです。
では、いよいよ堂塔伽藍を見て回りたいと思います。東側からぐるりと回る感じで紹介していきたいと思います。
まずは右手に見える小さなお堂から。
▼地蔵堂
郷土の名彫物師・藤川仏師による地蔵尊と閻魔十王が安置されています。
小さな池の向こうには立派な三重塔が見えます。
見どころ①三重塔
源頼朝が発願したと伝えられる建物で工法などからすると室町時代中期に建立され、昭和7~8年に全面解体修理が行われ、今にいたります。
外観は壮麗で一部唐様のほか和様式であり、内部は四天王柱上の台輪や内外陣の詰組など純唐様式で作られた和唐折衷様式。佛像は金剛界大日如来の木像です。
現存する国分寺の塔の中で最も古いもので、国の重要文化財に指定されています。
三重塔の西側には石塔があります。危うく見逃してしまうとこでした。
▼石造多宝塔
各部の様式・手法などから鎌倉時代の作とされています。高さは152センチ。上田市指定文化財。
三重塔のすぐ横にある眺めの良さそうな鐘樓(しょうろう)にも行ってみましょう。
見どころ②鐘樓
上田藩主松平伊賀守の保護で享和元年(1801年)棟上され、棟梁は常田村箱山の藤吉容一。瓦葺の屋根のそりが深く全容が優美です。梵鐘は昭和27年に再鋳され、優雅な天人文様が刻まれています。
自由に撞くことができるそうで、和尚さんの気分で鐘を鳴らしてみました。そして、痺れました。
それでは悠然と構える本堂を参拝したいと思います。
見どころ③本堂(薬師堂)
長野県宝である本堂の建立は、天保11年(1840年)に起工し、万延元年(1860年)に竣工しました。本堂再建は発願から完成まで実に31年の歳月を費やした大事業だったそうです。内陣には薬師如来を本尊として日光菩薩、月光菩薩及び十二神将が安置されています。
本堂は近世のお堂としては東信地方最大の建造物で、向拝の彫刻に見られる鋭い彫りや、虹梁(こうりょう)の複雑な絵様などに江戸時代末期の特徴がよく表れています。
本堂内には大きな白い象の模型があります。
高さ210センチ、全長360センチもあるこの象は、40年ほど前に上田仏教会のお花祭りの時、お釈迦様の誕生をお祝いして子供達が町の中を引いた物を国分寺でゆずり受け、お化粧直ししたものだそうです。毎年4月8日の時に、本堂の前に出されるみたいです。
昔々のある日、インドのマヤ夫人が白い象が体内に入ってくる夢を見た後、お釈迦様がお生まれになったということで、白い象は仏教にとってとても大切な動物とのこと。
右手奥には御朱印やお守りの受け付けをする授与所があります。このお寺の有名なお守り「蘇民将来」もここで購入できます。
今度は本堂左奥、西側のお堂へと行ってみたいと思います。
▼大黒天堂
輪王寺一品親王作と伝える尊像をまつり、大正13年に再建された。甲子大黒天の宝木槌は民芸調で当寺の名物。
▼宝蔵
常設芝居小屋の八日堂座が廃止された跡に建てたもの。建物の上部にある仏伝に基づく鏝絵(こてえ)は逸品です。
▼招提庵
参拝者の休息処で、室内にはたくさんのマンガ本が並び、冷水機も置いてあります。
▼弁天堂
元和8年(1622年)創祀し、1829年に池を掘りここに移転した。池は本堂再建の時、土坦用の土を得るため掘ったもので、その時出土したという五輪塔を池の中に安置しています。
▼観音堂
江戸時代初期の百体観音像が安置されています。
観音堂の前には、大河ドラマ「真田丸」を機に建てられたという石碑があります。
▼会見之地
国分寺が登場する合戦は 「第二次上田合戦」で、当地で真田と徳川のいわゆる「国分寺の会見」(慶長5年: 1600年9月) が行われたとされています。この会見で、真田方が計略をもって徳川秀忠の3万8千の軍を足止めにしたことにより、秀忠は関ヶ原の戦に間に合いませんでした。
それでは本堂の裏に向かい、今回の目的である蓮を見に行きたいと思います。
見どころ④蓮田
地域の農家の好意により、平成16年に本堂裏(北側)の約200坪の水田を借り受けて、住職が鉢で育てていたハスの苗(レンコン)を植えたことが始まりだそうです。その後、平成17年には約300坪、平成27年には約200坪を借り、また平成28年には約100坪の池を作ったそうです。
現在ハスが咲いている所は、約700坪(2,310㎡)にもなります。
これほどの広大な敷地に咲く蓮は見たことがありません。青空と奥に建つ本堂をバックに、とても絵になる写真が撮れました。
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